ビアターのブログ #FZXな日々

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北の国へ~山の思い出

ビアター

私は、学生時代は山岳部に属していたので、年がら年中山歩きに明け暮れた。思い出に残る山は数多くあるが、旭川に住んでいたので、毎日目にする大雪山(たいせつざん)は、特に親しみがある。真っ白く雪を頂いた様は、さながら神々の座といった趣があった。

大雪山は1つの山ではなく、20以上の山の集まりである。その山域は広く、「富士山に登って山の高きを知り、大雪山に登って山の広きを知れ」とは、先輩からいつも聞かされていた言葉だ。

1番左の愛別岳から1番右端の旭岳(大雪山の主峰2290m)まで、何日もかけて縦走した。愛別岳の麓にある愛山渓という温泉に、営林署の小屋があったのだがそこをベースキャンプにして、アタックをかけるのが春山合宿の常だった。

スキーの下手な私にとって、雪山は大の苦手であった。他のメンバーが山頂近くから一気に滑降するのを尻目に、転びまくって雪だるまのようになりながら、泣きながらついていった。

ただ滑るのならともかく、背中に非常時のための食料やら雪中露営用の簡易テント(ツェルト)を背負い、1度転ぶと起きあがれないほどの重さである。

それでも、夏山で何十kmも歩くことを思うと、雪山は下りにスキーが使えて楽だった。スキーができるようになれば、と旭川に冬が訪れると、大学の授業の後(ケッシテ授業はサボらなかった)、スキーを担いでバスに乗り、大学の近くにあったスキー場へせっせと通ったものだ。そのスキー場は、今では道央自動車道の旭川鷹栖ICが通っている。

私の属していた山岳部は、大雪山ではなく十勝連峰をホームグラウンドとしており、春山合宿だけは大雪山で行ったが、十勝連峰にもよく行った。夏山は日高山脈で沢登りと決まっていた。

今でこそ美瑛はファーム富田が有名だが、当時は開拓農家が点在するだけの田舎に過ぎず、白金温泉や吹上温泉にスキー客と登山客が行くだけだった。

「北の国から」で脚光を浴びた麓郷(ろくごう)は、富良野岳の麓にあり(だから麓郷か?)、十勝連峰~大雪縦走という毎日30kmを1週間歩き続ける苦行のスタート地点だった。


朝の2時に起床して、夜日が沈むまで歩き続けるのは、当時は当たり前だと思っていた。昨年8人が死亡するという痛ましい遭難現場となったトムラウシ山はその縦走路の真ん中にあり、大雪山と十勝連峰の分岐点でもあった。


十勝岳は、後輩2人を山岳遭難で失った悲しい記憶の山でもある。山から帰らないという知らせが届いたのは、卒業して3年目の12月だった。それから半年の間部員が交代で探したが、雪が融けるまで見つからなかった。後輩の1人は私の親友の弟だった。


60歳を過ぎた親友のお父さんが、遭難地点に行きたいというので、親友と二人で急傾斜の道無き道をサポートしたが、そのお父さんも昨年亡くなった。

美瑛から白金温泉を経て、望岳台という道路の終点までは、白樺林が続くすばらしい山岳道路である。時間があれば、ぜひバイクでも走ってみたい道である。
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